櫻宮納言のまくらの嵐

You帝国に魅せられてをかしがる日々

嵐20周年に寄せてあらましあらし~嵐との出会い~

ごきげんよう
櫻宮納言です。今さら感が漂うが、20周年ツアーが幕開けとなった記念に、嵐との出会いやなぜアラシックになっていったかのあらましを綴る。
まずは、出会い編。まだ、アラシックの自覚がまったくなかった時のお話し。
2000年高校生だった私は、ある楽器系の部活に入っていた。夏には毎年全国大会があり、その年も大会に向けて練習していた。その合宿中おもむろに後輩がうちわを取りだした。
それは、二宮和也のものだった。
まだその顔はとてもあどけない。
「先輩、嵐の中で誰が好きですか」と聞いてきた。
「だれそれ?嵐って何?」
当時、空前のデュオやアカペラブームでジャニーズのことはSMAP、KinkiKids、V6、タッキーしか知らなかった。
どうやら夏にコンサートが大阪であるらしく、今度の大会の近くで行われるが、行けないので、大会の異動バスの中でCDを流してほしいことと、大会が終わった後嵐山に行きたいとリクエストがあった。「嵐がつくからって嵐山」なんじゃそりゃという感じである。バスの中では、往復8時間の時をKinki、嵐、ゆず、GRY、CHEMISTRYを永遠にリピート。リピート。リピート。
後輩たちは、嵐がかかるたびにうちわ(にのみや、あいば、さくらい)と、ペンライトなるものをとりだして懸命に空想の嵐にむかい振り回していた。
その光景をびっくりしながら見ていたがわずか10年後自分が同じ姿になることを当時の自分に教えてあげたい。
まだまだ自分も子どもで、大人にあこがれがあったせいか、年の近い彼らの魅力には気づこうともしなかった。これが嵐が私をかすった一回目。
それから数年後私は、大学生になった。ここで特筆すべきことは、現在の相方ちゃんとの出会いだ。彼女は、熱心なKinKi Kidsファンではあったが、サークルの大切な友達のひとりだった。でも学生時代は、ジャニーズとは無縁の生活を送る。
大学を卒業し、2008年、いつの間にファンクラブに入ったらしい相方ちゃんから一緒にいくはずであった友達が行けなくなったからと、嵐初国立のコンサートに誘われた。
でも平日だったので仕事でいけないので断った。
これが私を2度目に嵐をかすったときであり、これがまさにアラシックになる「嵐の前の静けさ」だったのだ。つづく